I ain’t no hollaback girl

今月は何かがおかしくて、文章を読むことも書くこともほぼ出来ないまま月末を迎えてしまった。本当は明日の日付が変わるまでに片付けなくてはならない労働があるから、こんなことをしている場合ではないんだけど。

 

少し前から労働が半分くらいノマドになった。いくつかの労働をチマチマと掛け持ちしているから、ノマドになるのは場所も時間も選ばなくて本当に助かる。本当に助かるんだけど、なんにせよ私はなんでも後回しにしてしまう人間なので、仕事の出来はかなり悲惨なことになる。締め切りがあれば締め切り前は地獄だし、締め切りがなければそのワークは永遠に終わらない。ノマドとかリモートワークとか聞こえはいいけど、向き不向きがかなりハッキリする労働のスタイルだな〜ということが分かった。かといってオフィスで働けば解決かといえば、そうではない。もちろん人目がある分、集中しようとする気待ちの持続具合はかなり変わるし、焦って仕事をする。ただ、私は身の周りの音というものがとにかく気になる人間で、隣や後ろの席の人が電話をしていると、自分が会話をしているわけでもないのにその会話を聞いてしまう。どのくらい聞いているかというと、一言一句違わずに暗唱できるほど真剣に聞いてしまう。どうにも頑張っても音は聞こえてくるので、オフィスでは常にイヤホンで音楽を流して仕事をする。多分、この現代でも、仕事中に音楽を聴いていて良いよと言ってくれる会社は少ないのだと思う。アルバイトだけど、自由な雰囲気の会社には感謝している。発達障害の人は集中力がないし、聴覚過敏持ちが多いから、なるべく多くの会社がイヤホンや耳栓の利用を許可してほしい。聴覚過敏といえば、私は人が声をあげて泣いているのを見るのがとても苦手である。見る、というかその声がどうにも耐え難くて走って逃げたくなる。一番困るのが映画を観ている時で、それが大人でも子どもでも、声をあげて泣いているシーンが出ると、どんなに良い映画だったとしても一気に不快な気持ちになって耳を塞いでしまう。何故だか分からないけど、とにかく不快なんである。邦画は特に大きな声で泣いたり叫んだりするものが多いから、ちゃんとトレイラーを見なくてはいけない。(では街中の幼児などが泣き叫んでいるのは不快なのかというと、正直なところ不快である。私は耳を塞いで逃げ出したくなるし、こちらが泣きたくなる。でも、だからといって公共の場に子どもを連れてくるなとは思わない。私はマチュアな人間なのでイヤホンだって持ち歩いてるし、別のところへ移動することだってできる。対して子どもは泣くこと以外何も出来ないのである。どちらがその場の対処をするかは一目瞭然だ。子どもは公共の場で泣いていいのである。)こういうことがあると、一緒に働く上ではやはり同じように発達障害を持った人間と働いた方が楽なのか?ということを思ったりもするけれど、実はそれは全然そんなことない。自分と同じようにADHD/ASD持ちの人と働いてみて分かったことといえば、私は発達障害者の中でもなかなかになかなかで、労働においてとにかくポンコツである。私が一緒に働いた発達持ちの人々は、勉強が出来ない人でも労働はバリバリこなせるタイプの人間が多かった。労働で過集中が起きたことなんて私は一度もないし、金銭が関わっていても締め切りがあっても守れずに後回しにしたりしてしまう。元々居眠りは自分でも信じられないほどしてしまう人間なのだけど、体内時計を正す薬でどうにかしている。でもその代わりに薬で脳は少しバカになってる(気がする、飲むと頭の回転が遅くなっている気がする)。薬を飲んでいることを伝えたら、「自分も飲んでみたことあるけど頭が回らなくなった気がしてやめちゃったな」と言われて、単純に羨ましくて何もいえなかった。何も飲まずに生活出来るならそれが一番だもの。私だってそうしたいわい。ただ私は本当に薬に救われており、メリットをビシビシ感じているのでこれからも続けます。発達の人に発達ですと伝えると、自分もだよと言われ、人それぞれ症状の出方だって違うのに全てが無効化されて、普通に「何故そんなことも出来ないんだ?」という目つきで見られる。私はこれがすごく嫌なので、別に発達障害者に囲まれていれば万事解決とはいかないと実感している。

 

人に読んでもらいたいものではないので、改行はしませんでした。明日はモーニングしに行って、そこで労働をします。