I thought I was only acting but I felt exactly like it was all for real

ところで私はツイッターのアカウントを分けるということをしておらず、高校や大学での知り合いとツイッター上で出会ったフォロワーさんとが混在しているのですが、現実での私をご存知の方は私のツイッターをどうお思いなのでしょう。どうお思いですか?

 

そういえば6月に入るとともに就活をやめました〜!最終面接まで残ってた企業に「残してくれてサンキューな!」という旨の連絡をしました〜!!グッバイ就活、私はお前と別れて生きていく。

 

同級生もフルタイムで働いている人が増え、その他にも関わる人がバリバリ働いているということが増え、「フルタイムで働くというのはなんと忙しいことなのだろう」と改めて思い知っている。大学生もそこそこ忙しい人が多いけれどそれでも融通が利いたし、オーストラリアではみんないつも暇してたし、帰国してからも無職とかフリーターの友達はいつ声をかけてもすぐ会えたし、働いてない分元気だから無理してでも会えた。でもフルタイム勤務している人はそうはいかなくて、そもそも空いてる時間が少ないから早く予定を決めないといけないし、それだって急にダメになるし、仕事のことを考えて無理には会えない。私にとって2週間というのはもう永遠のように長いけど、きっとみんなにとっては一瞬なんだなあと分かってきた。まあ私もいずれそうなるのかもしれないけど。でも分かってきたとはいえ、やっぱり「今会いたいものは今会いたいんですけど、、」となってしまうね。人生は一度しかなくて、しかも私たちはあっという間に年老いて死んでしまうのに、今会いたい人に会えなくて何が人生だ、と思ってしまう。

 

あ、そうそう、前回のブログで「それが大事」を話題に挙げましたが、怒りで色々適当だったので追記

 

「それが大事」はヒットソングだしサビの歌詞が強すぎるから頑張れソングの系統だと思われがちだし、私もそう思ってた。でも実はそんなことはなくて、ただ「これは大事なんだよ」ということを優しく伝える歌で、全く頑張れとか言ってこない。

 

「高価な墓石を建てるより安くても生きてる方が素晴らしい ここにいるだけで傷ついてる人はいるけど」「ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて ここにあなたがいないと思うことが淋しい」、丁寧な歌詞だなと思う。

 

私は逃避の天才なのでこれからは逃避したくなったらこの曲を聴いて乗り切ろうかな。鬼龍院翔のカバーのやつだけど。

 

 

youtu.be

 

「大事MANブラザーズバンド」って語呂がいいからこのバンド名になったって本当なの?

先週のとある日、一通りやるべきことが済んで一息つくとまだ16時過ぎだったので以前働いていたツタヤを訪れた。2年前、オーストラリア留学をきっかけにバイトを辞めてからはツタヤに訪れることはめっきり減ったのだけど、それでもボロい二階建ての建物に入ると自然と落ち着いた気分になる。ツタヤはあまり綺麗ではなくて埃っぽくて、スタッフのみんなは気だるそうに働いていて、更衣室と休憩室は異常に狭くて、社員が喫煙者だから休憩室でタバコを吸うことが許されている。私が経験してきたバイトで一番居心地が良かった場所である。今回もいつも通り仲の良い販売担当のおじさん(私はレンタル担当だった)に声をかけて、私の近況を報告した。

 

特に何を借りるのか考えずに来たものの、借りるものはすぐに決まった。DVDは「ドリーム」、「全員死刑」、「新感染」、「サークル」、「ベイビードライバー」の5本。CDアルバムは大森靖子を2枚、人間椅子を2枚、岡村靖幸を1枚、宇多田ヒカルを4枚、それに鬼龍院翔の「オニカバー90's」の10枚を借りた。

 

本とか映画とか音楽とか、そういう影響力を持つコンテンツは何の意識をしていなくてもその時々に必要なものが勝手に寄ってくるから面白いと思う。大学に入りたての頃は寺山修司に出会って生き延びれたし、卑屈な性格になりそうだった時期には筋肉少女帯を聴き始めて変な擦れ方をせずに済んだ。私は不可知論を支持しているから神を強く信じることはないけれど、それでもこういった類の偶然は本当に不思議で偶然以上の何かなのかもしれないと思うロマンチックな瞬間がある。神ってロマンチックだ。

 

今回のそれは、鬼龍院翔の歌う「それが大事」と宇多田ヒカルの「wait and see」だった。 どちらもわざわざ聞かなくてもテレビや街中で耳にしたことのある曲で、多分「よく見ること」「待つこと」「信じること」は大切だからやれ、報われないリスクはあるけどそうするべきなんだ、という歌。ありがちといえばありがちで、チープなテーマかもしれないけど、私もそうだと思う。

 

最近社交辞令を覚えたから、人に何かに誘われた時や自分が人を何かに誘った時の返事、いろいろなことが社交辞令かどうか疑うようになってしまった。今までだったら何の疑いもなく相手の言うことを信じることが出来たのに、出来なくなってしまった。きっとこれは世の中的には「適応」に近づいて喜ばしいことなのかもしれないけど、私は何だかバカになった気分である。

 

高校生の頃から私の中でアイドル的存在だった人に久しぶりに会いたくなったから、会いたい旨を連絡した。職業としてのアイドルでない人間をアイドル扱いするのはやっぱり失礼だと思うから、これからは人間として仲良くなりたいとも思っている。その人は食事に行ってもいいよ、と言う内容の返事をくれたものの、私はそれが社交辞令なのかと疑い、「本当に誘いますが、いいのでしょうか?」と念を押した。向こうからすればおそらく、何やねんこいつ、いいって言ってんだろ、って感じである。

 

社交辞令以外にも私は変な「忖度」を繰り返している。ほんの少し連絡がなかった友人に「もう関わりたくないときはそう教えてください」といきなりちょっとキレてるメッセージを送りつけたりもした。これは私としては相手が言いにくいことを言いやすくする心遣いだったのだけど、はたから見ればただの攻撃なので自分でもびっくりする。私は憂鬱な気分でいることは多いけれど、すっかりティーンエージャー気分からも抜けて、いわゆる「メンヘラ」の要素はなくなり元気に暮らしているので、最近は攻撃性が自分ではなく他人に向かいまくっている。忖度と他人への攻撃性が一緒になるのは本当に最悪だ。

 

だから、私はやめにする。大事MANブラザーズバンド宇多田ヒカルも、多分社交辞令をやめようぜと歌っているつもりは全くないとは思うけど、私は私に関わる人を見て、待って、信じていかなければならないと思う。何かを決めつけて衝動的に動いたり、人の悪意を見つけようとしたりするのは馬鹿馬鹿しい。その人が私と関わることを選んでいるのだし、自分と関わる人の口から聞こえる言葉を信じなくて何を信じれば良いのか。

 

何故こんなことを書いているのかと言うと、私は今猛烈に腹が立っているから。あなたが傷つく可能性があるから信じるのをやめろだなんて、馬鹿げてる。「リスクがあるからこそ信じることに意味がある」のに、どうしてそれが分からないのだろう。どうして、その人間があなたと同じ悪意を持っていると決めつけるのか。

 

社交辞令で誘って来る人は私が全部真に受けてあげますから、二度と社交辞令は口にしないでください。

 

 

さあさあ、はっきりカタをつけてよ、やってられないわ

好意を寄せている人間に、「過激な女だな」と言われた。

 

私は自分のことはあまり過激だとは思わないけれど、過剰だとは常に思っている。会いたい人にはいつでもすぐに会いにいきたいし、欲しいものは絶対に欲しいし、やりたいことは全部やりたいし、言いたいことははっきり言いたいし、食べたいものはその時に食べたい。それが自分のキャパシティを明らかに超えていても叶えたいし、今でなきゃ意味がない。しかも、どれだけ会っても、買っても、手に入れても、言っても、食べても、満足しない。好きな映画は何十回でも観るし、カラオケでも好きな曲は何度も歌う。終わりがない。

 

過剰であることは自分の良い部分でもあるとは思うけど、結局は執着みたいなものに似てきてしまうから、疲れる。過剰である私に他の人間が合わせることなんて無理難題だろうし、そんなこと誰もしたくないだろうに、誰か、この私の過剰さについて来て、どうにかしてくれ、なんて考えて、そんな人間がいないことに虚しさを覚えるのも疲れる。

 

少し前から飲み始めた薬のせいなのか、私が元からメンタルな人間なのか、梅雨に入りかけた季節のせいなのか、それとも全部が理由なのか分からないけれど、ここ最近は憂鬱な気分。いつもは楽観主義的でアバウトな人間なのに、やけに神経質でネガティヴになってる。

 

自分のツイッターを読み返すと面白い。1ヶ月の間に「人生は最高」と何度も言っていたりするのに、その合間にはなにもかもがダメで何もできない旨のツイートがあったりする。3日くらいでそれらが繰り返されている時もあって、どう考えても気分の浮き沈みが激しすぎる。多分これは、自分が「気持ちや記憶、頭の切り替えが出来ない」という性質を持った人間で、その時々に起きた事柄に影響されすぎてしまうからだと思う。病院で受けたIQテストの際に分かったことだけれど、私は自分でも意識していないうちに前の問題の答えを口ずさんでいたり、下手したら自信を持ってそれを答えとして提示したりするらしい。ひとつ出来ない問題があるとその次にも支障が出るし、とにかく頭や気分の切り替えが弱い。

 

いやいや、なんちゅう恐ろしい欠陥だよと自分でも引いてしまうんだけど、実際に切り替えるということが私は全く出来ない。それを超える何か、みたいな出来事が起きてようやく切り替わって新しいフェーズに入れる。だから、人生は最高だと思えるような事があった時は、何かが起きるまではずっとずっとそう思えるけど、何かよくないことが起きればそちらに引きずられて、次にまた何かが起きるまで立ち直れない。3日で気分がまるっと変わっているのは一見切り替わりが早く見えるけど、結局は周りのことに影響されているだけ。何も起こらなければ2、3週間憂鬱なままだったりする。

 

ただ私は待つという行為も苦手なので、最近は自分の気分を自分で切り替えるためにも、私に影響する「何か」を自ら起こすようにしている。自分から動かなければ人生には大したことは起きないので、とにかく何か行動しなくてはならない。

 

今日は労働に来たけれど、別に私がやることはないらしい。労働場でダラダラするのも悪くはないけど、必要とされていない場所に留まるのも時間の無駄だから、もう帰ろうかな。帰って、憂鬱を切り替えるための何かをしようかな。

 

youtu.be

箇条書きの覚え書き

・就活すればするほどどこでも働けない気がしてくる、通らないとかではなく「私ここでは働けない、、」と思うところばかり、そろそろ就活が無理になりつつある、やめたい

 


・未読無視はやめて既読無視にしてくれ

 


マッチングアプリまぜそばをアイコンにするな、真面目にやれ

 


マッチングアプリで「友達にすすめられて始めました!」って言う男、カマトトぶるな

 


サイレントヒルの正しい楽しみ方分かんない

 


・この前作ったバターロール、別に不味くはなかったし自分的に結構好きだったけどちょっとパサついてたからどうにかもっとしっとりさせたい

 


ディオールオムのスポーツのサンプルを手に入れたけど結構おじさんっぽい香りで友達にあげようにも躊躇う

 


・新しくADHDの薬を飲み始めたけどちょっと頭がバカになった感じがある、まだ飲み始めだから効果は出てないはず、副作用はメチャある

 


・飲む日焼け止めとかグミになってるサプリメントとか、効いてるか分かんないけど近未来っぽくて楽しいから買っちゃう

 


・自分は音楽を音楽として楽しむ能力が低い。歌詞の言葉だったり、その曲や作り手、歌い手のコンテクストにばかり注目してしまう。と思っていたけれど、意外とそんなこともないかもしれない。中原めいこの「恋はサンバのように」のイントロを最高だと思えるんだからそんなことない。

 


・ピアノ習いに行きたいけど高え、いっそピアノ買って自主的にやる?

 

 

・何故みんな青春を取り戻したがるのか。「もう青春できない、あの頃には戻れない」なんて私は思ったことがない。もちろん高校生の頃は楽しかったし、もう今はその頃には戻れないけれど、これからもこれからの楽しみがあるだけではないのか。

 

 

・青春はとても明るくて眩しい分、それを取り戻すかのように真っ暗な部分と一緒ではないのか。私の青春は片面がキラキラと明るかった分、もう片方は救いようがないほどに暗くて重くて辛かった。楽しくて楽しくて仕方なかった思い出を記憶として蘇らせて浸ることはあっても、あの暗くて辛い思いはもう二度としたくないから私はあの頃に戻りたいとは思わないんだけどな。

取る必要のないリスクを避けて生きるということ

就活を始めておよそ1ヶ月半が経ち、スーツを着ること、説明会で話を聞くこと、その企業の人に笑顔で挨拶することなどにも慣れて来たので、割と緊張感もなくダラダラと活動をしている私です。

 

就活を始めるにあたって、真っ黒のリクルートスーツは大学2年生の頃に買ったので既に持ってはいたけれど、それを着たくないという自分の思いだけで新しいスーツを買いました。色はネイビーで、パンツスーツ。パンツはシュッとして見えるストレートの形で、丈はくるぶしが隠れるくらいの短めのやつ。ついでに買ったシューズはヒールが4センチ程度のピンヒールでポインテッドトゥ。

 

これらは「私が選ぶ私に似合うものの基準」を満たしていて、実際にこの装備の私はなんか仕事できそうに見えるし、見栄えがいいと思う。

 

この格好で就活をしているといろんな人から絶賛されることもある、それと同時に「リクルートスーツをバカ真面目に着る就活生批判」を聞かされることもある。確かに同じ形の真っ黒なスーツを着て、黒髪をひっつめて、就活のための絶妙にダサい黒いヒール靴をはいた女の子の集団を見たりすると「おっ、分かりやすいディストピア」とは私も思う。思うんだけど、そこで批判すべきは素直にそれらを身にまとっている就活生ではなく、そうしなければまずスタートラインにすら立たせてもらえないということを刷り込んだ社会なのだと思う。

 

私は私の選んだファッションで行動したいし、自分で選んだスーツや靴は気に入っている。でも、同時に無駄なリスクを取っているとも思う。私の受けている業種がそこまで見栄えにうるさくないから、格好のせいで目に見える損をしたというのは今の所ない。とはいえ、説明会でも何でも変な浮き方をしている時はあるし、実際目に見えない損をしている可能性は大いにある。そう思うと、やはり素直にリクルートスーツを着ていた方が「間違いがない」。そんな状況でリクルートスーツを身に纏う就活生を批判出来るわけもない。それに、リクルートスーツを黙って着られる就活生が「何も考えていない」わけがない。

 

リクルートスーツのことだけではなく、これは沢山のことに当てはまる。その人にとって、そのリスクをとる必要があるのかどうか、それは本当に個々の問題。リスクを取った人が、もしくはそのリスクとは直接関係のないところにいる人が、とる必要のないリスクを避けた人を批判するのはダサいのでやめましょう。

 

まあ、もちろん、リクルートスーツ着てない私が損をするのもおかしな話なので、この社会には早急に変化を求めますが。

 

 

来週もめっちゃ就活しよ〜〜。

 

There are notes in your handwriting but you can’t make it out

最近は自分の人生に過度の期待も絶望もせずに生きていくことを目指して生活しています私です。

 

先週から少しずつ就活を初めてみた感想としては、これはとりあえず発達の人間にはなかなかの無理ゲーで、必死に就活なんてしたら心身共におかしくなるよ〜〜間違いない〜〜

 

まず説明会や合同説明会は参加者が多い。人が多いところが苦手だったり、たくさんの人が同時に話している状況でパニックになる人間は行かない方がいい。

 

目星のついた企業にエントリーするため、とりあえずエントリーシートをつくる。そのためにPDFを紙へと印刷して、記入する。写真はボックスの証明写真では美しくないので写真屋にいく。写真屋もこの時期は混んでいるので事前に予約して、当日もしくは後日に現物は受け取る。私は予約するのが遅かったので来週撮影する。ありえんギリギリ。でも、とりあえずこれでエントリーシートは送れる。

 

ゆくゆく必要になる卒業証明書と成績証明書をもらうため、申込書を印刷、記入し、切手を購入し、免許証をコピーし、封筒に全部入れて大学に送りつける。数日後、証明書が郵送されてくる。(ちなみに一枚発行するのにうちの大学では200円。)

 

既卒のわたくしは今年は学科で検診を受けられないので、実費で受ける。大体学校と同じような項目が含まれたコースの検診で約5000円。診断書の発行でさらにお金がいる。しかもこの時期は健康診断も混んでいるので早めに予約しなくてはならない。さらにさらに、診断書が届くまで3週間とかいう病院もちらほらあるので、マジで早く受けなくてはならない。私は昨日受けたけど、診断書が届くのが間に合わない可能性のが高い。

 

エントリーシートとプラスの書類準備するだけでここまで。お金も時間もかかるのは勿論だけど、書類とか予約とか締め切りとか全部苦手なので本当に「ウ、ウウゥ、、」って唸りながらやってる。合同説明会に頑張って行った日の帰り道には衝動的にiPad Proを買った。完全にストレスである。(iPadは最高。楽しい。)

 

この就活の期間にこのまま就活し続けられるのかは謎だけど、とりあえずは職を見つけるためにぼちぼちやっていこ〜。無理になったらやめます。

 

昨日の夜、「次はこれ、これはここが面白くて〜」って友達が色んなものを見せたり聞かせたりしてくれて結局2時過ぎくらいまで起きてた。私は薬も飲んでたし眠たかったんだけど、友達が嬉しそうだったし、教えてくれた音楽もよかった。眠たいのに楽しいなんてことがあり得るんだね。

 

 

 

清濁併せ呑んだベイベー

今週は世界発達障害啓発週間なのだそうで、最近ようやく自分の発達障害を知って生活を見直し始めた私としても出来るだけ沢山の人が発達のことを知って、困ってることがあったら病院に行ってほしいと思っているよ。医者によって過少診断、過大診断があるし、その医者の人間性もあるから全ての病院が良いとは言えないけど、やっぱり病院は最高だから、、。病院は最高。

 

薬を飲み始めて大体20日くらいが経ち、実は数日前からセットしたアラームが鳴るよりも前に目がさめるという事象が起こっています。大体アラームは8時にセットしてあり、それより前の7時半ごろぱちっと目がさめる感じ。まあもちろんまだ朝は寒いしもうちょっと寝たいなとも思うけど、わりかしすんなり起きれる。私からすればこれは奇跡。これまで朝自然と目がさめるなんてことはなくて、前の日何時に寝てようと目がさめるのは昼。12時間くらい平気で寝ちゃうし、目が覚めても身体が動かず起き上がれなかったり、まだ泣くほど眠かったりで目覚めが良いなんてものは人生でほぼ経験したことがなかったので、本当に感動してる〜〜!ヤバ〜〜、これはヤバい。

 

実際今これを書いてるのはまだ10時半の、大学に向かう電車の中だもんね。卒業証書を取りに行くだけなんだけど、今までなら昼に起きて教務課が閉まる夕方ぎりぎりに行ってたはずだもんね。朝起きるだけでこんなにも自分に可能性を感じることが出来る、最高。今なら何でも出来る気すらするもんね。なんなら「おっ?就活すっか?出来るんじゃん?」みたいな気持ちすらあるもんね。

 

今この喜びを実感するとともに思うのは、なんでもっとはよ病院行かなかったんだよ自分〜〜ってことだし、だからこそ他人に病院を勧めまくりたい。病院が解決してくれること沢山あるんで。

 

ただ薬でどうにもなんないことも多いのでそれはどうにかしなくちゃなんだよね。昨日テレビでサンドウィッチマンの「マイナンバー?めんどいな、このバイト辞めるか、、」みたいな内容のCMが流れていて、お母さんに「うちの娘じゃん」と言われたんだけど、こういうとこは薬じゃ治んないんだよね。私は証明写真を撮るのが億劫で漢検をすっぽかすオンナなので、、。

 

今日は今から卒業証書もらって、その後は栄でスーツ買って、お遣い済ませて、帰って筋トレして、韓国語の勉強をしよっかな。